松山ブンカ・ラボ

INTERVIEW

まつやま文化人録

  • VOL.007
  • 2021.01.12 UP
神山恭昭 さん
神山恭昭(絵日記作家)
「原点は風の街ですね。風の街みたいな雰囲気のところで若い人が純粋に面白がって生きてくようなところがね。」

 ある日、郵便受けを覗くと、神山恭昭研究所というところから封筒が届いていました。封筒の中には哲学カフェの案内があり、哲学対話に興味があった私はスマホのナビを頼りに会場へ出かけてみました。日差しの強い夏の日の午後でした。会場が見つけられず、汗を拭きながら、石手川沿いの道を何度も往復していると、同じようにあたりを見回している白髪の男性が一人。どちらともなく声を掛け、二人でまたしばらく探すと、何度も通り過ぎたはずの古い民家の入口にダンボールの看板がかかっていました。当日の哲学カフェの内容はもう忘れましたが、とにかくよく飲み物がこぼれる会でした。
 
今回インタビューさせて頂いた神山恭昭さんは、愛媛新聞や松山百点(2020年11月まで)で連載を持っておられる絵日記作家であり、各所で定期的に開催している展覧会では彫刻や絵画の制作、お芝居の脚本など幅広い表現を行うマルチなアーティストです。そんな神山さんですが、表現を始められたのは37歳と意外に遅く、学校事務の仕事をしながら表現活動を続けられており、70歳を超えた現在も新たな表現を模索されています。
子どもを見ていると、絵を沢山描いて、よく歌い、よく踊ります。年齢を重ねるにつれて、そういった表現をすることは減っていき、いつの間にか「表現をするひと」と「表現を受け取るひと」というように、両者の間には歴然たる壁が出来ていきます。神山さんはあらゆる人の表現(得意なこと)を世に出すプロデューサーでもあります。「表現をするひと」と「しないひと」の境界を緩やかに乗り越える神山さんのお話をどうぞ。

インタビュアー:鯰川 多ヌ吉
取材協力:小粒舎

  • 創作を始めたきっかけと三番町の喫茶店「風の街」

    松山市の出版社・創風社出版(注1)の目録は1986年に出版された神山さんの「絵日記丸山住宅ものがたり」から始まります。神山さんが創作を始めるきっかけとなった作品です。このとき、神山さんは37歳でした。

     

    小さい子供の時のことを描きたかったのよね。丸山住宅は幼稚園に上がる1年前から、就職する前ぐらいまでいて、井戸しかなかったり、ガスもなかったし、江戸時代と違うのは電気が来とったぐらい。家の形とか、こんなに今とは違うんだと。ほんで、紙切れ見たいのになんか書きよったんですよ。37歳のときに小学校の時に描いた漫画みたいなのを久しぶりに描いた。それまでそんなことぜんぜんしたことなかったんです。

    大早さん(創風社出版)が出版社をこれから始めるっていうけん、「アンタ出版社するいいよったろ、これ本にしよ」言うて。ガリ版みたいな機械買って、一番最初に本作ったんですよ。手書きの薄っぺらい本ですよ。

    神山さんは大学卒業後、定年の直前まで県立高校の事務員をされていたそうです。それまで創作を行ってこなかった神山さんがなぜ唐突に本を作ることになったのか。そう問いかけると、本の版元である創風社出版・大早さんが出版社立ち上げ前に営んでいた喫茶店「風の街」(注2)の話をしてくれました。

     

    風の街はね、建物の上に建築現場で使うようなプレハブのお店やったんですよ。雨降ったらダンダンダンダン、トタン屋根やから派手な音がして、階段をだーっとあがるわけ。そこへ上がる時はワクワクした。あんなワクワクすることなんかもうない、あんときぐらいです。

     

    30代、40代前半の人たちって面白いことを探して、コミュニティを作る時期ですよね。みんながね、元気。この元気を金で買ってくれんやろかって思うぐらい元気。とにかく現場に足を運んでいかんと情報を得れんかった。家に座っとってネット見て情報得るなんてことはできんかった。映画は映画館行かんといかんし、ビデオなんか、家にはなかった。

    今でこそ、ビデオやら配信やらで映画なんか自由に見れるけど、昔は映画が見たいおもたら映画会社行って、フィルム借りてきて、みんなから金とって自主上映会とか行って、そんなグループがいっぱいあった。

    そのなかの一つを作っとって、チケットを置かせてくれるって(風の街に)連れてってくれた。そんときに(店主の)大早さんに会うて。仕事の帰りに毎日行ってましたね。

    最初の給料ぐらいで8ミリのカメラ買ったのかな。給料と同じぐらい、カメラ買ったものの映写機を買うお金がないので、映写機はしばらくして買った。

    その頃ぼくも興味があって、ドラマみたいのじゃなくて、イメージフィルム、ちょっと意味不明なビルだけを映しとる映画とかね、自分の影だけ写すとか。映画いうほどののもんじゃない 友達に女装させたり、意味不明なことやっとった。セリフがあるわけでもないし、筋があるわけでもないし、かっこいいものでもないし、都会でならわからんけど、(松山では)そんなんやってもだれも来うへん。そんななか一人だけ来た奴がおって、そいつが「風の街」に連れてってくれた。

     

    よくまあ、それで引っ掛かっただけで。あんときにそんなわけのわからん自分で作ったようなのやらんかったら、たぶん大早さんとは会ってなかった。ほんで、大早さんとこで堀内さん(詩人 注3)やら柳さん(海洋工学の研究者、哲学カフェの代表)やらいろんな人と会った。

    それがもしなかったら、なんもない。

    結局、神山さんが唐突に本を作ることになった理由はよく分かりませんが、「風の街」は何かを創作するという熱量を持つ場所だったのだろうと思います。

    神山さんとも共著がある詩人・堀内統義さんは創風社出版の創立二十周年を記念する冊子の冒頭に「創風社出版前夜―「風の街」という喫茶店があった―」というエッセイを寄せています。その書き出しからも、その熱量を感じられるような気がします。

    『一九七〇年代後半から八〇年代前半にかけて、松山の三番町に「風の街」という喫茶店があった。そこには、時代の匂いがあり、風が吹いていた。』

  • 市井のひとの面白さに光を当て、世間にひらく

    「風の街」は映像や演劇、前衛芸術、詩などの表現者や自給農や消費者運動、原発問題などの社会運動に関わる人まで、さまざまな分野を横断する人たちが出入りしていたそうです。神山さんが表現者であることに留まらず、人が集う場づくりを行っていることの原体験は「風の街」にあるのではないでしょうか。

     

    原点は風の街ですね。風の街みたいな雰囲気のところで若い人が純粋に面白がって生きてくようなところがね。やっぱりなんにもなしで空間なしでネットだけでつながっとったりするよりは直接会うて話をする方が圧倒的に面白い。

    冒頭で紹介した哲学カフェは、毎回地元のひとがゲストスピーカーとなり、自身の関心領域をテーマに話題提供し、そのテーマについて参加者で対話をするというユニークな形態の場です。この哲学カフェを始めた経緯について伺いました。

     

    あれも突然ね。6年か7年ぐらい前、新聞見よったら哲学カフェって出よって。あれって世界的にあるらしいね。フランスが発祥かな。別にその哲学いうてもカントじゃなんとかじゃ言うんじゃなくて、普通に人生のこと話したり、そんなことする会があって。

    日本では震災の時にあっちの方で盛んになって。もともとは鶴見俊輔なんかが京都でね、哲学カフェとは言わんかったけど。あのひとのは講義みたいなんやったけど、講義みたいなんじゃなくて、みんなで話し合おうみたいな。

    それを新聞で見て、これ面白いなと思って、思ったらそれをやらんと、やった方がおもしろいよなと。それで柳さんを代表にして、自分は事務局をして。

     

    哲学カフェのゲストは有名人ではなく、同じ松山の街で暮らす普通の人です。専門家が自身の専門領域について語るのではなく、自分と地続きの普通の人が興味を持つことにスポットを当て、参加者で共有するところに神山さんらしさがあると思います。このような場をすぐに始められるフットワークの良さと、それを面白がって集まってくる人たちが同じ街にいることにとても嬉しくなります。

    インタビューの際、神山さんから手書きのカレンダーを頂きました。そこには、「教室法人・ひるまの月」という謎の団体名で古道具屋さん・小粒舎で行われている各種教室のスケジュールが書かれていました。神山恭昭研究所しかり、神山さんのユーモアあふれるネーミングセンスを見るたび、年を重ねるのも悪くはないなあと思います。

     

    講師は私の知り合いばっかりで、今月あるのはレコード教室と詩の教室ですね。他にデッサンの教室なんかもやってます。カルチャーセンターみたいなのを私作ろうと思うて、教室法人ひるまの月いうて。でっち上げて、理事長におさまって。

    デッサンは日本画のをやりよった人が私の絵日記講座に来たんです、冗談じゃないかと思うて。それから親しくなって、ここでデッサン教室しませんか言ったら、やっぱ上手やった。

    レコード教室はシゲさんてオーディオが詳しいんでレコードを回すんですよ。

    私はそんなに努力せんで、講師がみんな上手なん。来る人が面白かった面白かったって。

    芸術もいろいろあるやないですか、鶴見俊輔の限界芸術とか。こんなこと言うたらいかんけど、美術館で味わうような美術と大衆芸能のあいなかぐらいな。ぼくらがそうやったらいいなあと。

    そういえば、夏の日に汗をかきかき哲学カフェの会場を一緒に探した白髪の男性がレコード教室の講師・シゲさんでした。シゲさんは県外から何十年かぶりに愛媛にUターンして、見事に神山さんにつかまってしまったのです。いわゆるプロでなくても、何か趣味や特技を突き詰めている人は、神山さんの目には輝いて見えているのではないでしょうか。

  • 技術を習得していないからこそできる表現

    11月に教室法人ひるまの月の本拠地・小粒舎で神山さんの展示会「わし展」がありました。神山さんは、美術作品を展示するギャラリー以外でも積極的に展示をされています。このことは、専門的な美術教育を受けず、37歳で学校の事務の仕事の傍ら表現活動を始めた神山さんの表現者としての出自と関係しているのではないかと思います。

    体系立った技術を学んでいない人間にも表現は可能なのか。例えば、彫刻の制作に鶴見俊輔の限界芸術に共感する神山さんなりの考え方が垣間見えます。

     

    ―彫刻は全部独学なんですか?

    中学校で習う、横と縦を描いて切って削っていったら。あんまり作り込まんようにするんよ。上手な人はいっぱいおるけど、下手でやめる人はそうおらん 本当はねきれいに作りたいけど、その先が行けれんから止めとるだけで。

    やめどころが大事で、あれ以上進まんだけの話。きれいに作る人、上手な人はいっぱいおるし。やれば上手になるんです。普通は。私はならんだけの話。

    たぶん、下手かうまいかやったら全部下手やけど、下手やと安心するんやね見る人が。

    アレンジやなと思う。新しい木の材料なんて金さえ出せばなんぼでも買えるけど、腐ったもんてなかなかね。経年劣化いうか、そう言うもんでアレンジするとなかなか面白いなあて。

    ―芸大に行くとテクニックを捨てることに苦労するんですよね。幸か不幸かその段階を超えていきなり表現に傾注できると言うところが神山さんの表現者としてのものすごいアドバンテージだと思います。

    上手にできん、手が不器用に産んでくれた親のね。すごい絵描きさんなんかでも普通に描いたら上手すぎるから、わざと左手で描いたりする。私そんな努力せんでもできるから。

    ―一方で、神山さんは芸大を卒業されてるんですよね。

    大学は60歳過ぎて通信へ。はやっとったんですよその頃。芸大やって6年おったんですけど。なかなか実技系の通信て難しいんですよ。教材が送られてきたり、油絵の学科だったから課題があって、油絵描いて送るんですよ。ペケで再提出みたいな。あとはレポート書いたり、一般教養みたいなのと専門とわりにいっぱいあるんですよ。

    普通の芸術系じゃない大学行っとったら、一般教養は免除されるんで最短で3年で出れるんですよ。でも3年なんかで絶対出れへんのよ。で、悶え苦しんで6年かかってやっと出た。でも面白かった。

     

    ―芸大に通った効果はありましたか。

    描き始めの頃はなんとなく描いたら、描けなくもないなあと。卒業後もあんまり変わらんけどね。ひとからは、「昔の方が上手やったが」言われて、何百万も金使ってあの芸大行ったのはなんやったんやろかと思ったり。

     明日から大学に行くいう時にみんな集まって、うちでなぜか宴会して、大早さんや他の人らは「そんなとこ行くな」言うて。「上手になったらアンタの良さがなくなる。行くな行くな」言うて。それで卒業したら、「あーよかったな、ちっとも上手になっていない」と。

    私は上手になるために行ったのに、ちっとも上手にならんかった。

    神山さんとその周囲にいる方たちを見ていると、手持ちの技術とメンバーでとにかく「やってみる」ことの豊かさを感じます。

    今回のインタビューのなかで神山さんは海外に行ったことがないというお話をされていて、少し意外な感じがしました。海外で見たものや感じたことからインスピレーションを得て、表現の糧にされている方を良く拝見するからです。海外に行くことの効能の一つは、非日常の空間に身を置くことで、自分自身の固定観念を客観視できることではないでしょうか。

    そう考えると、身の回りにあるものやひとを固定観念に縛られず、いつもフレッシュな眼差しで捉えられる神山さんには、そもそも海外で感じるような驚きを日々感じているのかもしれないなと思います。

    海外はおろか他所の土地への移動や、未知の人との新たな出会いが忌避される昨今の状況では、そんな神山さんの視点と身のこなしに学ぶところがありそうです。この機会に神山さんの著作を読み返してみてはいかがでしょうか。

    注1:創風社出版:松山市内にある出版社 独立系の出版社であるため、県内のさまざまなジャンルの著者の出版物を手掛けており、創風社出版の存在が無ければ世に出なかった郷土の歴史、資料が多くある松山の宝である。

     

    注2:風の街:1970年代後半から1980年代前半にかけて松山市三番町にあった伝説の喫茶店。坪内晃幸氏や工藤省治氏など、県内の芸術家のサロン的な場所となっていた。松山無声映画上映会を主宰する田中淳氏や世界的な知名度がある音楽家・工藤冬里氏も通っていた、現在の松山の文化を語るうえで欠かせない場所である。

     

    注3:堀内統義:松山市出身の詩人。神山さんとは「浮游蕩蕩 まつやまイエスタデイ&トゥデイ」を共著したり、教室法人ひるまの月で詩の教室を定期的に開催するなど、盟友的存在。

(取材:2020年12月9日)

神山恭昭(絵日記作家)

絵日記作家であり、絵画や彫刻、空間芸術などさまざまなものを創造するアーティスト。その多彩な活動が評価され、神山恭昭研究所所長、哲学カフェ事務局、教室法人ひるまの月代表など数多くの要職に就いている。

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