松山ブンカ・ラボ

INTERVIEW

まつやま文化人録

  • VOL.009
  • 2021.07.20 UP
橋本達也 さん
シネマルナティック支配人
「映画は完全に趣味です。自分で観るためにやっています。」

映画を観終わった後、肩で風を切ってまちを歩いてみたり、まちの人がゾンビじゃないかと疑ってしまったりと、まちの見え方がほんの少し変わることがあります。サブスク全盛のいま、映画館で映画を観ることの価値の一つがこういうところにあるんじゃないか思ったりします。

さて、その映画について面白い統計があります。文化庁が発表している文化に関する世論調査で、「鑑賞した文化芸術のジャンル」として、映画が36.2%と最も多くなっています。このことから、映画館は重要な文化施設の一つと言えるのではないでしょうか。
その映画館ですが、全国のスクリーンの数の統計では、この20年間で2,254から3,616となんと60%も増加しています。その原動力となっているのはシネコンで1,123から3,192と約3倍に増加しています。一方で、シネコン以外のいわゆるまちの映画館のスクリーン数は1,131から424と逆に約1/3程度になってしまっているのです。
この20年間で映画を観終わった後に肩で風切って歩くのは、まちではなく、立体駐車場の自分の車までの短い距離とか、大型ショッピングモールのフードコートまでの道のりになってしまったということかもしれません。

また、シネコンとまちの映画館の違いとして、上映作品が異なるということが言えると思います。前者の上映作品の多くは多額の制作費を投資し、多数の観客動員によってその投資を回収するタイプの娯楽映画であり、逆に商業的な動員は振るわないものの前衛的な表現に挑戦した作品や社会問題にスポットを当てた批評性のある作品(アート系作品とでも呼びましょうか。)は後者のような映画館で上映されることが多いのではと思われます。文化芸術の側面から見ると、娯楽作品とアート系作品は車の両輪のようなものだと思うのですが、ここ最近のスクリーン数を観る限り、両者のバランスが偏ってしまっているように見えます。

前置きが長くなってしまいました。今回は松山市中心部にある唯一のまちの映画館・シネマルナティックの支配人である橋本達也さんにお話を伺いました。
橋本さんのお話から、市場原理によって淘汰されていくことがある意味で自然な流れになってしまっているまちの映画館が、松山のまちに在り続ける理由がみえた気がしました。それでは橋本さんへのインタビューをどうぞ。

インタビュアー:鯰川 多ヌ吉
取材協力:シネマルナティック、入江初美

  • シネマルナティックの誕生

    ―シネマルナティックを開館されるまでのご自身の半生をお聞かせいただけますでしょうか。

    私は松山生まれで、大学までずっと松山で過ごしました。

    中学ぐらいから人より映画を観に行くようになって、ありがたいことに松山には、洋画ですが銀映という名画座があって、そういうのに通ったりしていました。当時は3本立てが500円ぐらいでローマの休日とか、燃えよドラゴンのリバイバルとか、007とかスティーブ・マックイーンの作品などが上映されていました。

    高校生の頃には黒澤明のリバイバルなんかが用心棒、椿三十郎、隠し砦の三悪人の3本立てで普通の劇場でかかっていました。日本映画は洋画と比べてスケールを感じられるものがあんまり観れていなかったので、日本映画もすごいなあというのを再確認したりしました。

    大学生になってアルバイトを始めて、自分のお金で映画を観れるようになって、やっと年間100本ぐらい見れるようになりました。

    就職に際して、映画は学生時代からずっと好きだったんですが、仕事にするには後ろめたさがあって別の仕事に就こうかと考えました。

    大学では農学部だったので百姓になりたいと夢想してたんですが、結局はやらず、セールスの仕事をしたり、土方をしたりしました。

    「採算のことを考えたら、最初からやっていないと思います。」

    映画の仕事を始めたのは、1988年からです。

    80年代後半から東京を中心にミニシアターという波ができて全国に広がって、それに松山も乗ってフォーラム松山を立ち上げられることになりました。フォーラム松山が立ち上がるという記事を見て、そこで出資者として参加し、そのままスタッフにしてもらうことになりました。

    フォーラムはもともとは山形で設立された組織です。かつて、全国で移動上映をする共同映画という会社があり、その受け皿となって自主上映を行う映画センターが各地にありました。山形の映画センターの長澤さんという方が市民に出資を募って、フォーラムという映画館を立ち上げて、その動きが東北一円に広がっていったんです。

    フォーラム松山を立ち上げるときに1週間だけ山形に修行に行って、映写とか接客を勉強させてもらいました。今はないですが、当時は交流があったんですね。

    山形などの東北のフォーラムは完全に市民出資でやっていたので、松山もそれをまねて立ち上げたんですが、最終的に資金が3割ぐらいしか集まらなくて、残りは代表の方が借金で賄うことになりました。そのため、2年ほどでお金が回らなくなり潰れました。

    フォーラム松山に参加させてもらい、館内の掃除から番組の選定、配給との交渉、さらには、当時はフィルムでの上映だったので、それを自動映写の機械にかけるには大きなリールに一つにまとめて、映写機にかけて上映してたんですが、それを毎週のように自分でフィルムに触って編集して、予告編を付けたり、変えたりとかスクリーンサイズやボリューム変えたりなど、後半1年は支配人をして、映画の一から十まで、全部かかわることが出来ました。

    フォーラム松山が潰れてからは、映画の仕事にやっとつけたので一番好きなことをやろうと腹をくくって、広島のサロンシネマというところで1年ほどお世話になり、その後は松山と既存の映画館に勤めながら、1994年10月1日に独立しました。

    フォーラムの設備が残っていたので、そこを安く借り受けてシネマルナティックを立ち上げました。10年弱でこっちに移ってきて、現在に至ります。最初はそんなに続けていけると思えなかったんですが、なんやかんやで26年経ちました。

    右:鯰川 多ヌ吉/左:戸舘正史(松山ブンカ・ラボ ディレクター)

  • 映画館を運営すること

    ―シネマルナティックを開館してからのことを教えてください。

    独立してからは支払いに関することを一から更にやり直しました。フォーラムの頃にお付き合いがあった独立系の配給会社が電話1本で信用してもらえて、フィルムを出してもらえていたし、支払いに関しても融通してもらえたり、基本的にお支払いは滞りなくしているつもりなんですが・・・。それでなんとか今もある程度の信用を得てやらせてもらえていると思っています。

     

    東京からミニシアターが広がってきて、ミニシアターでかかる映画に元気があった頃は20代、30代の女性を中心に盛り上がっていたんですが、その方たちが出産や育児、人によっては介護でだんだん来なくなって、今はシニア層の方がミニシアターを支えています。

    1年ぐらい働いて貯めた120万円を手持ち資金として始めて、お金が無くなるまでやってみようかと、遊びのつもりで始めた感じです。始めた当初3ヶ月でお金が無くなっちゃったんですが、当時のフォーラムの建物はサロンキティぐらいしかテナントがいなかったので、大家さんがフォーラム松山の頃の代表の友人の方だったということもあって、「半分の家賃で休みながらでもいいから続けてください」と言われ、休みながら安い家賃で続けさせてもらってました。

    その後、ウォン・カーウァイやトレインスポッティングなどのアート系でも若い人が見るようなヒット作が出て、やっと休まずフルでできるようになりました。

    一方で、デジタル化など施設の更新のたびお金がかかって、辞めようか、どうしようかってことになるんですが。借金はしないつもりでしたが、デジタル化でお金がかかり、そうもいかなくなりました。もともと35ミリという昔のフィルムの設備はあったんですが、デジタルにするにあたって、莫大な金額がかかることがわかりました。廃業も考えましたが、お金を借りることが出来てなんとか続けています。

    つい最近も映写機のトラブルで高額の修理代がかかることが分かり、コロナもあり、やめようかなと思ったら、ミニシアターエイドというお話を頂きました。ぎりぎりまで迷っていたら、うちを贔屓にしてくださる片岡礼子さんや冨永昌敬監督など、過去にうちに来てくださったいろんな方から、「どうしたんだ」って問い合わせが来て、「参加せい」と言われ、参加させてもらって、最終的にお金を回してもらってなんとか続けられています。

    シネマルナティック入り口(2階)

    お金が無い無い言いながら、スピーカー変えたりアンプ変えたり、ありがたいことにここはある程度のサイズがあるし、松山のほかの環境よりはまあまあええとこで頑張ってるかなと思います。上映環境に関していえば、フォーラムの後にお世話になったサロンシネマの環境が良かったんです。そこは100名のキャパですごくいいスピーカーを使ったり、すごく頑張ってお客さんを呼んでいます。私は自分で観たい環境で映画が観たいから、映画館で観るんだったらせっかくだからいい環境で観たいと思っています。

     

    ―環境を整えるのはご自身のためでもあるんですね(笑)

    映画は完全に趣味です。自分で観るためにやっています。だから儲からなくてもできるというか・・・。採算のことを考えたら、最初からやっていないと思います。

    この仕事始めて、フォーラムのときは忙しすぎて、自分のところでかかっている映画を疲れて観られないときもあったので、それは嫌だなと。それでは映画の仕事を続ける意味が無いなあと思って、自分がやるにあたってはかける作品は必ず必ず自分のとこのスクリーンで観るというのは実践しています。

    映画館内の様子

  • 映画の中にある多様性

    ―映画のどのようなところにそこまで魅せられているんですか?

    まだ知らないことを教えてもらったりすることもあるし、実生活で感じられないことを映画の中で感じてしまってるんでしょうね。もっと実生活に求めないといけないことはあると思うんですが、結婚してないし、子どももいないし、その分映画を観て代替してしまっているところがあると思います。映画を観てると済んじゃうみたいな。人生怠けているということでもあるんですが。

     

    ―シネマルナティックを26年されている中で思い出深い出来事はありますか?

    特にこれというのは無いですね。毎年この映画が良かったというのはありますが。最近になって昔の映画をリバイバルで観たりして、初めてスクリーンで見るとすごい良かったりして。この年末年始もジャン=ポール・ベルモンドの作品を初めてスクリーンで見て、これがフランスのプログラムピクチャーなんだなと思いながら、東映の昔のアクション映画を観てるような、荒っぽい作品を観てるような。初めてそういうことを知ったりとか、そういうことが楽しかったりするし。

    また天井桟敷をやりますが、こういう作品は案外寝たりするんですよね。

    ―シネマルナティックではいろいろなジャンルの映画を上映されています。それはお客さんに喜んでもらいたいという気持ちがあってですか。

    自分がかけたい映画をかけたるために、自分が観たい映画以外のお客さんが入ってくれるものも含めて上映しています。お客様が入ってくれるのは確かにありがたいんですが、自分としてはこんな映画もあるのにっていう気持ちからいろいろな映画をかけています。

    映画っていろんなジャンルがあるじゃないですか。そのジャンルを一応、嫌いなのもあるけれども、観てみるとどんなジャンルにも面白さがあると思います。例えば、ドキュメンタリー映画を昔からよくやってますが、ドキュメンタリーをやると知らない国や人種だったり、文化だったり、初めて知ることがすごく多いので。自分で世界を回れれば一番いいんですけどね。そうもいかないし。

    館内では映画のパンフレット、ポストカード、雑誌等の販売がされており、ポスターはいたるところに掲示されている。

  • 映画館のこれから

    ―先日(2021年1月)、シネマサンシャイン大街道が閉館しました。シネマルナティックがなくなってしまうと、ミニシアター系の映画を観られる映画館がなくなってしまうので、多くの人が困ると思います。後進など若い人を育てるお気持ちはありますか?

    私は絶望的だと思っています。やれと言うにはなかなか・・・。お金がある人が趣味としてやるのがいいのではないでしょうか。私がやれているのは実家に住ませてもらっているとか、状況が恵まれていて、収入も多くはないので、なかなか人にやれとは言えないでしょ。好きだったらやれますけど、他にそこまでやりたいという人がいなかったから、私しかやってないんだと思います。

    いまはアルバイトを一人お願いしてますが、朝から晩までずっとほぼ私一人でやっていて、昨日も帰ったのが午前2時でした。上映が終わってから、試写して、片付けしてというのをほぼ毎日のようにやっているので、それがやれない人はNPO法人とかで組織づくりができて、人を雇ってちゃんとお金を回していけるような人であれば出来るのかもしれないですね。私はそういうのがあんまり好きではなくて、人とそういうのをやっていく組織づくりっていうのが面倒くさいタイプの人間なので。自分がしたいことをしたいようにやるのが好きで、映画も自分の観たいものを観ています。今はまだ映画を観るのが好きで観てますが、あと何年夜中まで映画が観られるか。それを観たくなくなったらやめると思うけど、まだ観るのが楽しいのでやってます。

     

    私と同じことをするのではなく、将来別な方向でそういったものに参加してくれっていわれればサポートすることはあるかもしれません。

    映画の業界はかなり古い体質のところがあって、映画を出してもらうのにも長年の信用のようなものが無いとなかなか難しかったりするので、0から始めるというのは相当難しいと思います。既存のところと競合してやるというのは、大手など補償金を支払うことが出来る人ならできるかもしれませんが。逆に言うと、私らは電話1本で出してもらえるのがほとんどなんでやれているんです。

    将来的には、誰かがNPO法人を立ちあげて、その人たちが中心になって、私たちがサポートできるように続けられればいいなあと思いますけどね。

    「映画館で観るんだったらせっかくだからいい環境で観たいと思っています。」

  • 個人にフォーカスを当てた公共性

    冒頭の統計で示した通り、文化芸術の接点として映画が非常に重要な地位を担っていましたが、映画館は美術館や博物館、図書館などとともに地域の文化・芸術に触れるためのとても公共性の高い施設だと言えます。なかでもいわゆる「まちの映画館」は、映画の文化性・芸術性を支えるとても大切な役割を担っています。

    とくに、シネマルナティックは50万都市の松山で唯一のミニシアター系の映画を上映する映画館であり、友人で歌手の中ムラサトコさんはシネマルナティックがあることが横浜から松山に移住することの決め手の一つとなったと話していたり、シネマルナティックへの愛情や存在に支えられているという声をとてもよく耳にします。

    正直、このような公共性の高い仕事だからこそ、「コロナ禍でみんなのために歯を食いしばって頑張っている」という利他的な物語を勝手に想像してインタビューに臨んだ自分にとって、橋本さんの回答はその想像を大きく裏切るものでした。一方で、今回のインタビューでは、このような公共性の高い施設が橋本さんの「映画が好き!」という個人の非常に強い思い入れと、映画に人生を捧げる生き方に支えられているという点がとても興味深く感じました。

    文化芸術は個人の内面や実存と深く結びついたものであり、必ずしも公共的な価値がある必要はないと思いますが、個人の嗜好を突き詰めて行った結果、強い公共性が生まれるというのは、文化芸術のおもしろさだと思います。そう考えると、行政の文化事業は公平性に拘るよりも、個人にフォーカスを当ててもいいのかもしれません。

    市民が自ら粛(つつしむ)という我慢を強いられることが公共性に繋がるという言説の溢れる現在のコロナ禍において、個人の嗜好性から生まれる公共性はとても豊かなもののように感じられます。

(取材:2021年1月24日)

橋本達也(はしもとたつや)

シネマルナティック支配人

市民の出資によって作った映画館フォーラム松山に関わり、支配人を務める。フォーラム松山が閉館した後は、広島県のサロンシネマに勤務。その後松山に戻り、1994年にフォーラム松山跡にシネマルナティックを開館した。2005年には場所を移し、現在も松山市では唯一のアート系ミニシアターとして多種多様な作品を上映し、多くのファンに愛されている。

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