松山ブンカ・ラボ

JOURNAL

特集記事

2019.11.27 UP
VOL.
006
column
民主主義社会の「公的支援」~文化サポートプログラム〈らぼこらぼ〉

戸舘正史(松山ブンカ・ラボ ディレクター)

  • 曖昧模糊なキワをつくる

    松山ブンカ・ラボでは事業企画案を公募する文化サポートプログラム〈らぼこらぼ〉をはじめました。採択された企画案は2020年度に松山ブンカ・ラボ及び企画提案者の共催事業として実施していきます。

    詳細はこちら⇒ https://bunka-lab-matsuyama.com/information/537/

    〈らぼこらぼ〉は補助金、助成金事業ではありませんが、市民からの企画提案を実現していくために経済的かつ人的支援を行うという点では、芸術文化活動に対する公的支援の仕組みと言えるものです。

    ブンカラボが始まって1年と少し、これまで自前でワークショップや講座などさまざまなプログラムを企画し、芸術文化を切り口に社会を見つめなおしていくことをしてきました。これをきっかけにして、いままで出会うことのなかった市民(もちろんそこにはアーティストもいます)が対話し、それぞれの立場やモノの見方がバラバラのままであっても、ひとりひとりの望む社会のイメージが共有されていく場づくりを目指してきたとも言えます。なぜなら、多様な芸術文化の視点を使って、十人十色の考え方が混ざるのでもなく、それぞれの色が独立して見えている状況のような曖昧模糊なキワの部分を大切にする社会であれば、分断や対立はなくならないまでも、さまざまな隣人と肩を並べることができると考えているからです。

  • 「あいちトリエンナーレ」事件は芸術文化の問題じゃない

    芸術文化が社会になくてはならないものとするコンセンサスは、この国ではまだまだ得られていません。例えば今夏、話題となった「あいちトリエンナーレ」の問題を思い返してみましょう。この問題はさまざまな位相を抱えているので単純化して話すべきではありませんが、この件によってはっきりとしたことは、公的支援に関する一般的な理解が一面的であるということです。例えばこんな声がSNS上にも溢れました。

    「好きなことをやりたいなら自分のお金でやればいい」
    「国益に反する芸術には税金を使うべきではない」

    前者については、確かにその通りかもしれません。しかしこの考え方にはその芸術表現を「嫌い」な誰かがいるという前提が含まれています。「嫌いな人が一定数いるんだから税金を使うなよ」ということですね。後者についても、その芸術表現が「国益に反する」と考える人がいるならば、あるいは国の歴史認識や政権の考え方と違う表現や言論であるならば、税金を使うべきではないということです(ちなみに10月にJNNが実施した世論調査によると「あいちトリエンナーレ」に対する文化庁の補助金不交付を適切と考える人は46%で適切ではないとする31%を大幅に上回っています)。わたしはこの意見は民主主義の考え方に照らし合わせると不具合なものではないかと考えています。

    民主主義社会の前提は、いろいろな考え方を持つ人がいるということです。ある表現を好きな人も嫌いな人もいます。多数の意見だけではなく、少数の意見にも耳を傾けるのは民主主義の基本です。例えば障害を持つ人が全体のなかでの少数であっても、その人のためにサポートしたり、障害を持たない人が障害を持つ人の立場に拠って社会をつくるのが民主主義社会です。あらゆる人の存在と生活、価値観がきちんと保障されて、国民一人一人の精神的、経済的な豊かさがなければ「国益」もなにもないはずです。

    ですから「あいちトリエンナーレ」に端を発する芸術文化への公的支援や表現の自由に関する問題は、芸術文化が社会に必要であるかどうかというような狭い領域の話ではなく、民主主義とひとりひとりの権利、人権の問題として考えるべきであると私は考えます。確かにいま、表現の自由は脅かされていますが、それを芸術文化の領域のなかだけで議論していては自家中毒に陥るだけです。より大きな、社会を俯瞰する視点から、表現の自由についても、そして公的支援のあり方についても議論すべきではないでしょうか。

  • コラボレーション型の「公的支援」

    公的な補助金も〈らぼこらぼ〉も税金を使った公的支援すなわち公共政策です。公共政策とはマジョリティのためにあるものではありません。しかし残念ながら、必ずしもこの原則が通らない社会になってきています。あるいは、大きな声が強い力と結びついて、異なる考え方や立場、属性を排除するような状況も生まれてきています。このような極端な分断もありますし、考え方の違いによる小さな分断もそこかしこにあります。

    だから本来的には、国や自治体や公的な立場がさまざまな分断と向き合うとするならば、多数派や大きな声の立場に与して事態を収拾するのではなく、分断の境界線の上で対話の機会を作ったり、境界の線を太くして、キワを拡げていくのが、公の仕事のはずです。そもそも、公共政策あるいは公的支援の担い手は、公的な立場だけが主体ではありません。行政や自治体、公的機関と市民が互いに対等な関係のうえで一緒に公=社会を構想していくやり方もあるはずです。それは対話を促すキワづくりと同じ考え方でもであります。「公共性」はわたしたちひとりひとりのなかに宿っているはずです。お上が決めることではありません。あるいはお上を敵に回すことでもなく、共に市民同士、対話のなかから生起していくのが「公共性」ではないでしょうか。

    社会と芸術文化の多様性を踏まえたうえで、ユニークな新しい視点によって積極的に社会にコミットしていくアイディアを募集するのが、文化サポートプログラム〈らぼこらぼ〉です。芸術文化の視点から社会を構想していく仲間をお待ちしています。

    松山ブンカ・ラボ ディレクター 戸舘正史

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