- VOL.012
- 2024.12.27 UP
- 金子敦子 さん
- 金子音楽教室・作曲家・編曲家・アカンパニスト
さまざまな芸術の良さに気づくことができます
松山市では、坊っちゃん文学賞のショートショート受賞作品を、原作の文章をそのままに朗読と演劇を融合させながら上演する「よみ芝居」公演が開催されています。演劇ファンはもちろん、誰が観ても没入できるユニークな取り組みです。
そんな、よみ芝居の舞台で、登場人物の心の機微をよりディープに観客に伝える要素の一つが音響効果。2023年に上演された第18回大賞作の「月光キネマ」の上演をきっかけに、劇中の音楽や音響効果が生演奏されています。演奏を担当しているのは作曲家でアカンパニストの金子敦子さん。ピアノや作曲、音楽理論を指導しながら、作曲・編曲活動、音楽に関わるさまざまな催しを企画しています。
金子さんは2024年2月に60歳を迎え、還暦記念コンサートを開催しました。さまざまなジャンルの人と出会いながら多様な音の世界を生み出し続けています。
インタビュアー:宮本舞
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生前葬? 人生で関わった108人で作り上げた還暦コンサート
―還暦を迎え、松山市民会館中ホールで行った「賀華甲 金子敦子 作曲咲品展」では、金子さんがこれまで出会ってきた方々が大勢集い、金子作品が披露されました。幕開けにお孫さんがベルを鳴らし、最後は「ふるさと」の大合唱。合唱団、ピアノ、弦楽器、管楽器、和楽器の奏者が一堂に会し客席も巻き込んだステージは圧巻でした。どんな思いで開催されたのですか?
金子:昔は自分のタイムリミットって60歳くらいまでと思っていたんです…。それで生前葬のつもりで5年前から計画していました。実際、迎えてみれば、もっと生きられる気がしていますけど(笑)。毎年曲を作り、愛媛作曲協議会作曲作品展に出展しながら作品を蓄積してきました。それらを中心に自分の作品を遡って、今までのご縁で総勢108人の方に関わっていただきました。フィナーレというソフトを使って作曲。萬翠荘で開催されている愛媛作曲協議会作曲作品展でも毎年、作品を発表している
―「賀華甲 金子敦子 作曲咲品展」の出演者の方は、大人から子どもまで各所から来られていたようですね。
金子:プログラム1曲目は、児童合唱のための組曲「ひまわり」でした。松前町で活動する「松前ひまわり少年少女合唱団」の40周年記念に作曲依頼を受けて作った曲です。コンサートにも子どもたちが歌いにきてくれました。
また、女声三部合唱のための「あなたへ」は、恩師に向けて書いた曲です。大学の同級生「愛音の会」で、特音60周年を記念して取り組んだプロジェクトから生まれました。同期生、同窓生が指揮をする「コールYAYA」に加え、「坊っちゃん文学賞よみ芝居」「市民でつくる松山の第九」「金子音楽教室OB」のメンバーで大合唱団を結成できました。かけがえのない出会いから実現したことに感謝しています。
運営には大学院時代の仲間も参加してくれました。大学院は私が38歳の時に受験して入ったので、随分歳の離れた友人ができました。事情で休学しながら4年間も在籍したので、音楽の趣向も全く異なるさまざまな出会いがあり、いまだに音楽会や演奏会など、お互いに助け合いながら交流しています。―和楽器奏者の方も多く参加されていましたね。観客を巻き込んだ全員でのボレロが圧巻でした。和洋折衷の作品制作についてはどんな思いがありますか?
金子:私の名前「敦子」の敦の字が敦煌に由来しているので、子どもの頃からシルクロードに興味がありました。大学院入試もシルクロードをテーマにした曲を書いたほど。古典や歴史を学び、今は和楽器の演奏を習っていますが、学ぶほど奥深く、伝統楽器への憧れが強くなってきました。そんなご縁で出演してくださった和楽器の先生たちも、面白がって、協力してくださいました。
和洋折衷の作曲が具体的になったのは、琵琶奏者の方との出会いがきっかけです。琵琶で奏でるボレロで舞う日本舞踊を観た後に触発され、和洋折衷の編曲に取り組み始めました。日本舞踊の師匠について三味線を学んだほか、箏や尺八、能楽の小鼓や能管などもそれぞれの先生から学んでいます。昨年からは八幡神社の雅楽体験をきっかけに、篳篥(ひちりき)や笙(しょう)のお稽古も受けています。
作品の「青海波(せいがいは)〜サクソフォーン四重奏のための」は雅楽の調べをモチーフに作曲しました。また「海暾(かいとん)」は、弦楽器と能の謡いの要素を取り入れました。いずれも子どもの頃、梅津寺の海辺で育ったことから海をテーマにした作品です。―和楽器の稽古に通われているのは、目的がありますか?
金子:実は、いつか万葉歌、額田王の恋模様をオペラにしてみたいという野望があります。そんな作品に和楽器を取り込みたいと思いますが、音楽を書き、例えば、ここに笙(しょう)の音を入れたいと思っても先生は神職の方で、その都度お呼びするわけにもいきません。また、それぞれのエキスパートである先生から学ぶことで、楽器ごとの共通点や違いが見えてくるのが興味深いです。何より、作曲するにあたり、伝統楽器を知っておかなければ、という思いがあります。 -
PTA、公民館活動を通して 堀江地区の人々の感性を刺激し続ける日々
―先日、堀江公民館ふるさと大学「音楽の夕べ」の閉校式とコンサートが開催されましたね。
また堀江公民館の優良協力者として表彰されたそうですが、堀江公民館での活動はどんな経緯で始まったのですか?
金子:2008年にスタートした堀江公民館ふるさと大学の講座の一つとして「音楽の夕べ」を企画し、今も継続しています。2024年は、12月8日にコンサートと閉校式が行われ、音楽物語「泣いた赤おに」の上演など親子三世代で楽しめるステージになりました。来場者は80人を越え、同年で最多来場者数を記録し大盛況でした。昔からまちづくり協議会が盛んな堀江地区では、堀江の歌を作ろうという事になって公民館から依頼があったのが活動の始まりです。それで生まれたのが「ふるさとほりえ讃歌」です。もう10年は歌ってくれていますね。医座寺の和尚さんによる作詞で、小学校では歌詞の内容も学んで練習し、秋には地区の文化祭で全校合唱するので、伴奏しに行っています。
そもそも私は子どもが4人いまして。子どもたちが堀江小学校に在学中、10年近くPTA活動をしていました。長く活動していると少しずつ責任が増え、最終的には副会長で、音楽的なイベントなども企画しました。バンドをいれた演奏会やお化け屋敷など楽しい企画が好評でしたね。PTAの役目を終える頃、ちょうど堀江公民館ではまちづくり事業が立ち上がって、まちづくりの事務をしながら公民館活動に関わることになりました。―堀江小学校で活動する、読み聞かせグループにも参加されていますね?
金子:これもPTA活動がきっかけです。役員をしている頃、ちょうど読書運動が盛んになって、読み聞かせグループ「ママーズホーリー」が立ち上がりました。月に1回、始業前に各教室で朝の読み聞かせ。全クラスを巡回します。昼のおはなし会は、昼休みを利用してパネルシアターや大型絵本の読み聞かせを行っており、読み手のバックで演奏をしています。活動の延長でメンバー4人で「おはなしJAMS」を結成、書店などにも出向いて出張読み聞かせを行うこともあります。コロナ禍は、一時休止していましたが、少しずつ再開しています。
近年は共働きで保護者の方も忙しくPTA活動に携わることが難しいという人も少なくありません。そんな中でも活動が継続できているのは、これまで活動に関わったOB・OGが残っているから。さらに「パパーズホーリー」、時には大学生が手伝ってくれることもあり、世代を超えて活動の輪が広がっています。 -
学ぶことと教えること インプットとアウトプット
―音楽教室ではどんな人たちに何を教えていますか?
金子:教室には3歳から大人までの生徒がいますが、音大受験の生徒の指導も行っています。作曲を学ぶ受験生には作曲の基本となる「和声学」を教えています。メロディに和音をつけるイメージで、複雑な演習をこなしていくのですが、私はこれが子どもの頃から得意でした。改めて人に教えるために必要なことも学びたくて、一念発起して大学院を受験し、4年間通いました。―教えるためにも学び続けてこられたのですね。
金子:「和声のスペシャリストでいたい」という気持ちがあり、今も学び続けています。私が学んだ時代のものに加え、芸大によって新たな和声学も出てきたので、それを学びに東京のスクールに通った時期もあります。私の仕事部屋には、テキストもたくさん揃えていて、まるで大学の研究室のようになってきました。また進学した教室のOBも時々訪ねてきてくれて、若い人たちともさまざまな情報交換をしてインプットしています。―さまざまなインプットは、指導のほか、作曲やイベント企画にも生かされているのでは?
金子:インプットをしないと、枯渇してしまいます。曲は生まれないですね。舞台でも絵画でも本物を見て、感動を肌で感じたいと思っています。展覧会に行ったら図録を購入して帰りますし、気に入った絵本や写真集もたくさん集めていて、読み聞かせや本を紹介する子どもたちとのブックトークの時にも役立っています。例えば、風神雷神図はちょうど黒板くらいの大きさ。図録を見せながら大きさを想像してもらったりできます。また60歳を迎えた2024年は、長年、尻込みしていた「武生(たけふ)国際音楽祭」の作曲ワークショップにも参加してきました。福井県越前市で35年も続いている音楽祭で世界中から作曲家が集い、広域に学ぶまたとない機会でした。参加者30人中10人は学生、半分が英語圏の受講生。シビアな題材で作曲している外国人もいて、問題意識を持って戦っている姿に刺激を受けました。自分の作品を公開指導していただける機会も得て、講師の先生には「素直な作品」と評価をいただきました。講師や参加者の方との交流を通して、地方で活動していく上での課題や、今の傾向なども学べました。
―アウトプットとしては、アカンパニストとしての活動もありますね
金子:パフォーマンスのためのピアノ伴奏の依頼を受け、演奏したのがきっかけです。演者の動きに合わせて、タラン、キランと風の音を表現したりしていました。次第にピアノだけでなく、曲が変わるたびに楽器を変えていって、さまざまな楽器や道具も使いながら音楽的な効果をつけていく面白さに目覚めました。今ではドラマや映画を観る時も、劇中の音響を意識的に聴いたり、無声映画に合わせてライブ演奏する会に参加したり、インプットしながら楽しんでいます。活動としては、読み聞かせの時に物語の後ろで音を入れています。坊っちゃん文学賞のよみ芝居公演は、原作に出てくる歌詞に曲をつけて欲しいという依頼をきっかけに、アカンパニストとして参加するようになりました。
依頼を受け趣旨に沿って演奏する場と、自らの主張を持って自己表現する場、両方をバランスよくやっていくことが自分にとってプラスにつながっていると感じています。―さまざまな表現の場に立ち合い、生み出す中で、愛媛・松山の芸術について思うことは?
金子:松山のまちは現代音楽との出会いの場・機会が少ないように感じています。面白いもの、新しいものを受け入れる土壌もまだまだ育っていないと思います。
武生国際音楽祭が行われている福井県越前市は、伝統工芸や神事、祭りなどが古くから受け継がれ、古い家並みが続く歴史のあるまちですが、長年、まちかどで音楽コンサートが開催されています。福井県ゆかりの音楽家たちが訪れ、バッハやハイドン、モーツァルトなどのクラシック曲の演奏の間に、現代音楽も演奏されています。子どもたちが自然に音楽を吸収して、とても素直に反応しながら聴いていました。偶然その場に居合わせて、音楽を楽しむことができる、面白い試みをオープンな形で行っているのがいいなと思いました。
地方ではなかなか、生でいいものを鑑賞する機会が少ないと思いますが、本物を見聞きするとさまざまな芸術の良さに気づくことができます。地元の学校などで頑張ることもいいと思いますが、現代音楽などのコンサートがもっと身近なところで行われてもいいのかなと、もうちょっと自らも努力すべきかな、とも思っています。現代音楽の演奏家の知人も身近にいるので、何かできたらいいなという気持ちも…。音楽はもちろん、絵画や演劇など本物のアートと直に出会う仕掛け作りができたらいいですね。
(取材:2024年12月8日)
金子敦子(かねこあつこ)
1964年、愛媛県松山市生まれ。
金子音楽教室主宰。愛媛作曲協議会理事・事務局。
現在、ピアノ・作曲・音楽理論を教える傍ら、アレンジや作品を手掛ける。
幼少から自由な発想で歌い創作していた。幼稚園で歌った讃美歌も創作の原点に。小学校からピアノやエレクトーンを習い、自作曲を弾き歌う。中学生から作曲を横山詔八氏に、エレクトーンは指導者養成コースを橋本康氏に師事し、本格的に学ぶ。高校では地理部に所属しながら、作曲をより専門的に学び、愛媛大学教育学部特別教科(音楽)教員養成課程に進学。結婚して川崎市で8年過ごし、再び松山へ。38歳の時に改めて愛媛大学大学院に入学し、4年間在籍。
アカンパニスト(伴奏者)としては、坊っちゃん文学賞よみ芝居公演など活動は多岐にわたる。
アンサンブル奏響、アンサンブルASAS、おはなしJAMS、ママーズホーリー他でも、演奏活動。堀江公民館「ふるさと大学」の一つ「音楽の夕べ」を約20年間企画運営担当。
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