松山市文化創造支援協議会

JOURNAL

特集記事

2022.06.08 UP
VOL.
031
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カコアの歩み ――「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」―― 第三回 QaCoAインタビュー

田中教夫(元公務員)、入江初美(ツインクル・プラン代表)、白石卓央(建築家)、たまいえりこ(Artspaceアテナルミエール代表)、三好直美(ダンサー)、吉岡美紀(会社員)

  • 2004年にNPO法人として活動を開始したQaCoAですが、これまでに多彩なジャンルのユニークな内容のアートイベントを企画・実行してきたことは、前回までのコラムで紹介した通りです。当初より、QaCoAはアートイベントの専門家が集う集団ではなく、むしろ「アートに興味がある!」という“市民”が中心となったグループで、彼ら・彼女たちが三々五々集まり、アイディアを出し合い、試行錯誤を重ねながら、それぞれのイベントを丁寧に作り上げて行きました。つまりそこに関わった個性豊かなメンバーなしには、QaCoAとしての今日までの活動実績は築き上げられなかったと言っても過言ではありません。年齢も職業も経験も多様なメンバーは、時に入れ替わりを繰り返しながら、QaCoAと共に歩みを続けています。

    今回は、現在のQaCoAに関わっている主要メンバーを紹介します。彼らがなぜQaCoAに関わるようになったのか、印象的な出来事、QaCoAの活動を通して思ったこと、QaCoAの将来などを語っていきます。さらにQaCoAの活動を間近で見守り続けて下さった方々にも、QaCoAのあゆみや将来についてのお考えを伺いました。

    編集:高畠麻子(高畠華宵大正ロマン館)

  • 田中教夫(元公務員)/QaCoA事務局担当(設立メンバーの一人)

     

    トヨタアートマネジメント(TAM/1997年)が松山で開催された時、たまたま当時担当であった「松山国際映画祭」の話をして欲しいと言われました。TAMには色々な人がいて、アートの世界のいろんな側面を初めて見聞きしました。個人としても、また公務員という立場としても、「アートは社会に必要なものだ」とその時思ったのです。QaCoAの設立経緯は徳永さんが前回までのエッセイで詳しく書かれていますが、僕個人としては、「アートは面白いな」「社会の構成要素としてアートが何かの役に立つといいな」と思っていて、QaCoAがその受け皿として何かできるといいなと思っていました。

    実際の活動は、メンバー全員がほぼ手弁当なので、本当にみんな頑張っていると思います。僕は当初から、組織が続くためには寛容性が大事だと思っていました。みんながみんな100点のことを出来る訳じゃない。「出来ることも出来ないことも尊重する」「みんなでの議論を尊重する」これは結構難しいことで、離れて行った人ももちろんいます。徳永さんが当初から言っていた「自主性」と事務局としての僕が考える「寛容性」が、QaCoAが続いてきた要因の一つだと思います。

    当初はQaCoAの単独企画や他の団体との共催企画など、それほど規模の大きくないものが続きましたが、道後オンセナートのような大きなイベントにコンソーシアムの一員として関われるようになったことは、組織としてはよかったと思っています。メンバーたちがそれぞれの経験を今後どのように活かしていくかは、僕自身も含めて課題として残っていると思いますが、当初から「アートの社会的基盤を高める」という目標というかQaCoAの役割が、少しずつ成果として出てきているのではないかと感じています。

    事務局としての苦労は、ないと言えば嘘になりますが(笑)。月1回のミーティングに人が集まらないとか、常に何かをやり続けなければいけない(ネタを作り続けないといけない)とかね。でもメンバーの人生にとってQaCoAが、ある意味での「成長の場」になっていることが嬉しいですね。最近は全国各地で行政主導の街づくりとして「アート」を使ったものが多いですが、そこで地域住民が置き去りにされては意味がない。そういう点で、行政と市民の橋渡し的な存在として、まだQaCoAにも出来ることややるべきことがあるんじゃないかと思っています。

    「アートの社会的基盤を高める」というQaCoAのモットーがあって、そしてそれを理解してくれる人が増えていって、それが世代を超えて受け継がれていって、地域社会の文化が豊かになるための役割を果たし続けられるといいなと思っています。

  • 入江初美(ツインクル・プラン代表)

    私は24歳の時に、それまでの仕事を辞めて松山の専門学校に進学しました。当時、東京への憧れより、愛媛に面白いことがあると期待があったので、先生の仕事現場に同行をお願いしたり、エヒメデザイン協会のプログラムに参加したり、学校で学べる以上のものを求めていました。インテリアデザイナーの恩師が、砥部町のサイン計画や内子町の和紙など、地域の中でのデザインに取り組んでいて、とても興味がありました。

    年末、その恩師が声をかけてくれたのが「蔵出しアート」の前段階、蔵の大掃除で、三津の人たちやカコアとなるメンバーと一緒に埃まみれになった楽しくて強烈な1日でした。演劇をやっているクラスメイトがいたおかげで地元演劇を知り、カコアが始まるとコンテンポラリーダンスを知り、昔から美術は好きでしたが、今につながるたくさんの出会いに恵まれた1年でした。

    卒業制作は、愛媛県立図書館1Fのリノベーション提案をしました。もっと開かれた図書館にしたい。レイアウト変更やサイン計画も作りましたが、中心には「人」がいる。地域の「生き字引きさん」がいて、図書館は「生きた知との出会い」がある空間になるというプランでしたが、恩師に見せると「それは僕の範疇じゃない」と言われました。私のやりたいデザインは何か?それから10年くらいは何をやりたいのかと問われ続け、私も上手な答えを持っていませんでした。

    私は「伝える」ことに関心があります。卒業後、母校で講師助手をしていたときは、学校広告ではない、地域のデザインを先生や学生の切り口で紹介する広報冊子を作りました。2015年からはアートの面白さを「伝える」コンテンツとして、地元のアーティストを講師に迎えた子ども向け体験ワークショップを、ツインクル・プランの名前で開催しています。アーティストと地域の人たちとの間で、企画を練り、伝えて、一緒に楽しめる現場をつくることは、私なりのデザインだと最近は思っています。

    昨年はヤミーダンス新作公演の制作、道後アート2019・2020ではオープンコール・プロジェクトを担当しました。アーティストや作品、その思いを、どうやって多くの人たちに届けるか。その手段や関わり方を考えて、実行する。私がたどり着いた肩書きは、カコアがもともと持っている発想に繋がっているかもしれません。カコア設立の頃からこれまで、全国各地のアートNPOとの交流もあり、ローカルの魅力とアートプロジェクトの現場を学ばせてもらいました。

    アートの捉え方も随分と変わってきましたが、「アートの力を信じる」初心を今また思い出して、いろんな人たちとのつながりを育てながら、カコアだからできることを今後も続けていけたらと思います。

  • 白石卓央(建築家)

    大学院を出てから数年間横浜に住んでいましたが、当時の横浜は文化財級の建築が開発に伴って解体される一方、横浜トリエンナーレがあったり、BankARTや寿町のヨコハマホステルビレッジなどの地域の建築を生かしたオルタナティブな動きが起こっていて、建築・都市とアートの関わりに興味を持っていました。また、2008年に三津駅が建て替えられるとのことで、壊される前に一目見ておこうと帰省にあわせて訪れたところ、映像や「舟送り」といったアート的な手法で駅舎の“弔い”が行われていて、主催者がQaCoAでした。その頃、アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)に関わっていた坂田太郎さんと話をした際、松山にQaCoAがあるよと教えてもらって、三津駅の話を思い出し、徳永高志さんと田中教夫さんに話を聞きに行きました。その時に、東京でもQaCoAの活動を行っているので一緒にやろう、ということで参画したのが始まりです。

    東京のメンバーで構成された「カコアトーキョー」では、首都圏で活動している愛媛県出身の、オーガフミヒロさん、岡部修三さん、後藤雅樹さんをお招きして、渋谷のWOMB というクラブで「NANSHIYON?」というトーク&交流イベントをやりました。「地域・地方のアートやオルタナティブなことに関心がある人は結構いるんだな」と感じましたが、この時の繋がりが、その後の松山での活動にも繋がっていった部分はあると思います。

    2013 年から松山に戻り、建築設計の仕事をしながら、QaCoAの活動にも携わっています。三津の街中を歩き回って、アーティスト(神)と街を発見していく「みつはまアート散歩&Co.『三津浜と七人の神々』」(2014年)(https://www.youtube.com/watch?v=9tmlQpAICP4)や、空き店舗のリノベーションとアートイベントを合わせて行った「三津浜チャレンジショップ」(2016年)は、建築・街という分野との関連も強く、印象に残っています。

    QaCoA の活動を通して「アートとは何か」といったことを考えます。一義的答えは出ませんが、これは私が仕事を通じて「建築とは何か」ということを問い続けているのと同じようなことだと思っていて、答えが出ないから携わり続けている、やり続けているようなところがあるのかもしれません。

    仕事や家庭などの環境の変化や、コロナ禍もあって、QaCoAとの関わり方も変わりつつありますが、これからもQaCoAの活動は、アートや街に問いを投げかけながら続いていくと思うし、そうであってほしい。でもこれだけ長く活動を続けてきたのだから、QaCoA なりの考えや思想を、もっと出していってもいいんじゃないかと思います。これまでの蓄積もたくさんありますし、対外的には謎の団体のようにも思うので、何かドキュメント的な発信があってもいいんじゃないでしょうか。そのような意味で、今回、QaCoAについて振り返る機会があって良かったと思います。

  • たまいえりこ(Artspaceアテナルミエール代表)

    カコア設立時、地元大学の美術専攻の学生でした。
    その頃は松山で中々現代アート に触れるチャンスもないし、学内で制作する以外にアーティストと知り合う機会もあまりなく、たまたま友人が「蔵出しアート」に参加すると知って、私自身が三津 に住んでいたこともあって興味を持ち、少しお手伝いすることになりました。 みんなで協力して美術館等の公的なスペース外で市民がアートの場を作り上げるという行為がとても新鮮でした。田舎の環境に不満を抱いていた学生時の私には、QaCoAはとても刺激的な場となりました。

    QaCoAの活動には、3年弱ほどでしたが、当初はまだ手弁当のようなイベントが多くて、太田三郎さんなど、全国から色んなアーティストを呼んでいましたね。 アートスペシフィックな、その場でしか生まれない制作活動を目の当たりにして、立体作品や インスタレーション等の制作現場に関わることができ、アートや人を支える、つなげるという考え方の基盤が自分の中に生まれました。大学卒業後は、就職を機に上京したこともあり(2006年)東京でも QaCoAの活動を継続したいという想いから 松山のメンバーと相談しながら「見つめ合う地域」という向島でトークイベントプラス映像上映を開催しました。その後、白石さんや奥村さん等メンバー達と「NANSHIYON」というトー クイベントを渋谷でも行いました。議論を重ねながらイベントを作って、楽しかったですね。 東京から帰ってきて(2011 年)しばらくして仕事を独立したのですが、こういった決心は カコアの活動に関わっていなかったら出来なかったと思います。 私自身が若い頃に、QaCoAで色んなことに挑戦させてもらって、多様な価値観に触れさせてもらったこと、人との接し方とか違う考えの受け止め方、フラットなものの考え方など、社会勉強をさせて もらったと思っています。その経験があったので、自分で独立するときに、意外と抵抗感なく、自分 のやりたい事の道に進むことができました。 今は私自身、以前との関わり方も違ってきたのですが、最近は補助金や委託事業が 増えているなという印象です。公的補助金や委託事業というのは活動の外枠が決められているので、どうしても沿った活動内容になり、何となくパターン化というか慣れが生じてくるところもあります。個人的には原点回帰で今思い切って何がチャレンジできるか、少しみんなで考えてみるのもいいかもですね。

    個人の仕事の中で、アーティストの作品展示を企画する機会もあり、今どんどんアーティストと鑑賞者・購入者の場が変わってきていると感じています。以前と異なりネットで作品販売もできるし、ギ ャラリーのあり方も変わってきています。最近既存のギャラリーが高齢化していく中で、「地域」という QaCoA的な視点を交えると、ギャラリーという未来に何かヒントや突破口が見えてくるのかなとぼんやりと思っているところです。

  • 三好直美(ダンサー)

    1997 年頃だったと思いますが、トヨタアートマネジメント講座が松山市内で開催されたことがあります。その頃の私はダンスを軸とした公演をしていましたが、色んな人とコラボレーションをしたいなと思っていた時期でしたので、そこにはアーティストやアートに関心のある人たちが集まるだろうから、何か面白い出会いがあるかなと思って参加しました。同時期に徳永さんや田中さんとも知り合っていましたが、ちょうどNPOの設立支援が始まった時期です。その必要性を感じてダンサーたちで構成するNPOを立ち上げたいと思って色々と動きましたが、結局それは実現しませんでした。そのことと QaCoA に関わったことは関係ないのですが、当時私はダンスの公演を見る観客が少ないのはどうしてだろうと悩んでいました。ダンスの質をあげれば集客は増えると思っていたけれど、そうではなかった。どうしたらいいのか、何か突破口になるかと思って QaCoA に参加しました。

    私自身はダンサーなので、QaCoA ではダンスに関わるイベントをたくさんやりました。道後でも、三津でも。複数の場所でフラッシュ・モブを仕掛けたりもしましたよ。実際にやってみると、色々な仕掛けを練って、段取りをし、準備が踊る以上に大変でした。

    道後アートプロジェクト(DAP)のメンバーとして QaCoA が関わっていたので、私自身も色々学べましたし、問題点も見えてきました。 道後オンセナートや道後アートでは県外から著名なアーティストが関わりますが、地元のアーティストは置き去りで、私自身は地元のアーティストこそが、深く地域に思い入れを持って作品を提示出来るだろうし、この場所を使って面白いことをやりたいと思っている人は、自分も含めてたくさんいるだろうなと思っていたのです。ただ実際には、企画・制作サイドの組織やシステムの問題、広報などの PR の不十分さもあって、期待したほどには盛り上がらないまま終わってしまった気がします。でも QaCoA としては、そういうことも含めて、今後もアート支援をやり続けるのだろうなとは思っていますが、やはりコロナの影響は大きいかなと思いますね。

    私は長い年月を通して、本業のダンスと QaCoA のアート支援の活動を続けて来ましたが、つくづく思うのは、「私は表現者だなぁ」ということです。自分の心から湧き上がるものを見てほしい、感じてほしい。アートとは何かのために生み出すのではなく、人間の内側から溢れでるエネルギーがアートを作るのだと思うのです。最近の傾向として、アートというのは社会と関わらなければいけないというような風潮があるし、逆に何かメッセージを社会に発信するのがアートだという考え方が主流な気がしますが、一方で、そうした現実とは無関係に存在できるのもまたアートだと思うのです。

    もちろんアートが限られた人たちだけのものではいけませんが、アートへの入り口を広くとか、誰もが楽しめるという視点を重視しすぎると、それもまた極端な考え方を生み出してしまうのではないでしょうか。地域のためのアート支援というのはもちろん素晴らしい視点ではありますが、場所を選ばず人の心を動かせるのがアートであり、私はそういうものを生み出したいし、そういうものを見て 心を震わせたいです。人間のエネルギーというものは決して心地よいものばかりではない。咀嚼しにくく、理解がついていけない場合もあると思いますが、それでも何か心に響いてくるのがアートだと思います。作品から発せられるそういうエネルギーを感じるための支援、QaCoA のアート支援でも そういう活動が出来るといいなと思います。

    地域活性化のための手段としてのアート、組織があるからイベントをする時にアートを組み込む、 とても大切な事だと思う一方で、目的とか手段とか現実にがんじがらめになってしまいすぎると、「ア ートって何だっけ?」「私はダンサーとして何をしたいのだろうか?」と、ちょっと立ち止まって考えてみたくなっているのです。

  • 吉岡美紀(会社員)

    私は大学生の頃からQaCoAのことは知っていて、面白そうな人たちが面白そうなことをやっているなと、遠巻きに見ていました。でも大学生だったので、何となく時宜を逸するというか、自分から入ってく勇気はなかったのですが、それが大学卒業前のあるイベントをきっかけに「入らなくちゃ!」と思ったんです。それは「黒船襲来」というイベントで、岡本太郎の《明日の神話》修復に絡んだシンポジウムでした。地域における表現活動と外部との軋轢などがディスカッションされていました。シンポジウムのあとに「入りたいんです」とQaCoAの人に連絡して、後日「面接」みたいな形の面談を経て正式に入りました。2008年頃ですが、その頃はまだ「面接」があったんです(笑)。

    元々個人的にはお能や仕舞をやっていたので舞台芸術には興味はあったのと、色んなプレイヤーが松山にはいるけどみんなバラバラだなと、そういう人たちが集まる場はないな〜と思っていて、QaCoAの活動を見たらなんか面白そうだったので、軽い気持ちで参加しました。

    入ってみてまず思ったのは、「すごくちゃんとしているな」という事。「どういう思いでそれをするか」とかすごく考え練られてイベントが作られていて、みんなでちゃんと話し合った上でコトが進んでいて、強引に物事を決めない感じでした。

    入ってから大変だなと思ったのは、実際に自分が企画の担当になってからです。「自分もちゃんとしないといけないな」と思いました。「ミーツアーツオープンカレッジ」(2009年)という連続5回のシンポジウムの1回分を担当したのですが、事前の打ち合わせや内容の精査など、自分の考えがしっかりしていないと出来ないなと思いました。この「ミーツアーツオープンカレッジ」のような座学のイベントは、本当にQaCoAらしいイベントだなと今でも思っています。パフォーマンスや展示などのアートイベントをするのは他のグループでもやっていましたが、座学をきちんとやっているところはQaCoA以外にはなかった。もちろんアサヒアートフェスティバル(AAF)で、作品を作ったりパフォーマンスや展示、全国のアーティストとの交流が出来るのも楽しかったです。

    QaCoAに関わって、私自身も少し見方が変わったと思います。作品を鑑賞者として消費するだけではなく、その向こう側を気にするようになった感じかな?それと前は最初に言ったように、バラバラな人たちが繋がるといいな〜と思っていましたが、今は無理に繋がらなくても、集まれる場所があればいい、そういう場所のきっかけにQaCoAの活動がなれればいいなと思っています。

    個人的には、パーっと楽しい企画をやってみたいです。地域とアートを繋ぐような、インスタレーションやダンスとかですかね。今は少しどこでやっても出来るようなこじんまりとした企画が多いので、もっとその「場所」を意識できるような、ちょっと「攻め」の企画をやってもいいと思う。あとはもう少し「外」の人と関わっていけたらいいですね。そろそろQaCOAは攻めないと、惰性な感じになっちゃうと思うので。

     

  • 団体プロフィール

    NPO法人 クオリティ アンド コミュニケーション オブ アーツ(アートNPOカコア)

    2004年に設立。アートと地域の橋渡しを行い、創造性豊な人と地域社会の実現を目指したNPO団体として発足し、現在20名の多彩なメンバーで構成。アートプロジェクト、ワークショップ、シンポジウム、映画祭など様々なプログラムを展開している。

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