松山市文化創造支援協議会

JOURNAL

特集記事

2023.03.20 UP
VOL.
036
column
「現代アート入門講座」、ぶらぶら歩き

塚田美紀(世田谷美術館 学芸員)

  • 松山ブンカ・ラボ「まつやまアートカレッジ」では、世田谷美術館学芸員の塚田美紀さんによる「現代アート入門学科」を2022年度に3回にわたり開催しました。今回の特集記事では、塚田さんが「現代アート入門学科」を振り返ります。

  • 「現代アート入門講座」、ぶらぶら歩き

    現代アート入門の講師。これほど難しい仕事はない。どうしたものか。

    芸術といわれるものとつきあっていると、どこかで自分の日々の生き方、考え方を再点検せざるを得ないときがやってくる。現代アートの場合は、アーティストと自分がいま生きているこの同時代、その世界の姿が作品にヒリヒリと映し出されることも多いので、よけいに面倒である。もちろん、そんな厄介を避けて楽しく芸術とつきあい続けることもできる。だが面倒でしんどくても魅力的な厄介ごと、というものもまたある。芸術をめぐるこの事態の面倒くささそのものが大事だとも思う。が、そんなことを説明しても野暮でしかない。

    受講者のみなさんからヒントをいただこうと思い直し、開講前に3つの質問を投げかけた。その1、なぜ受講しようと思いましたか。その2、見知らぬ遠い土地に出かけることになったら、どういうふうに出かけますか。しっかり準備しますか、とりあえず向かいますか。その3、今日の朝ごはんは何でしたか。

    未知の、必ずしも心地良いだけではないかもしれない世界を手探りするときの、各自の作法。それはおおよそ、その人が現代アートに向き合う方法に重なると思ったので、質問の1と2は連動している。寄せられた回答には、旅はある程度はなりゆきで、という人がそれなりにいて安心した。質問3は、あるアーティストのワークショップで参加者の自己紹介のお題だった問いを拝借した。新しい未知の一日を始めるにあたってその人が何を口に入れたか、ということは案外多くのことを語る。食べないという人にも理由があり、食べる人たちは驚くほど答えに違いが出た。会ったこともないそれぞれの人の気配が文字の向こうにゆらゆらと漂い、それは嬉しいことだった。 

    初回は朝ごはんをテーマにした作品(三田村光土里のプロジェクト「Art & Breakfast」)を手がかりに話した。現代アートは身近なテーマの作品も多いので近づきやすいが、プロジェクトやインスタレーションという形式だとリアルタイムでは立ち会えないこともまた多い。が、ウェブなどに残された情報だけでもここらへんまではわかる、という話。コンセプトを語る文章にはどんな語彙が使われているか。作品にはどんな素材がどのように使われているか。作品を記録した写真や映像はどんな撮られ方をしているか。いわゆる伝統的な絵画や彫刻作品(の提示のしかた)と現代アート作品(の提示のしかた)はどういう点が具体的に違うのかを、作家の公式サイトを見ながらひとつひとつ確認してみた。

    終了後のコメントのひとつに目が止まった。「インスタレーションという言葉を今日初めて聞きました」。良いヒントをいただいた。現代アート界隈で当たり前のように使われているが、数十年前までは当たり前ではなかった言葉。受講生は10代から80代までと幅広いのだし、入門講座なのだから、次回は「インスタレーション」一本勝負で行ってみよう。

    現代アート入門学科1回目の様子

    現代アート入門学科1回目の様子

    入門講座では何かをわかりやすく説明することも大事だろうが、受講者が自分で知りたいことを知るための方法・ツールを提示できれば、それに越したことはない。個々の現代アート作品や作家を支える言葉、その言葉の背後にある考え方について、どうすればひどく迷わずに、その登場のいきさつを理解できるだろうか。自力で、しかも一般的な資料を頼りに。

    なかなかの難題だが、2回目の講義はこんなふうに組み立てた。(1)ウェブマガジンartscapeが編集している現代アートのオンライン事典「アートワード」では、「インスタレーション」はどう説明されているだろう?どの作家をさらに調べると良さそうなのだろう?(2)老舗の美術雑誌『美術手帖』では「インスタレーション」はいつ頃登場し、どんなふうに紹介されてきたのだろう?

    (1)をもとに私が選んだ作家は、アラン・カプローである。パフォーマンス的な作品発表が多かったので、日本では記録写真を通してしか知られていないと思う。絵や立体物で空間を埋め、あるいは都市空間にはみ出し、その中に観客をも巻き込んで、1960年代に大量生産・大量消費社会のリアルを問い直そうとしたその切実さは、のちに「インスタレーション」(設置)とそっけなくよばれるようになる言葉の基底に息づいている。

    終了後に質問があった。「絵や彫刻では足りなくて空間全体に目を向けて、音や時間も含めて演劇みたいになって、どんどん広がったのがとても面白い。じゃあこの後はどこに広がるんでしょう」。

    現代アート入門学科2回目の様子

    現代アート入門学科2回目の様子

    現代アート入門学科2回目の様子

    アートに使われる素材は広がるところまで広がったわけだが、アーティストが扱いたい問題の幅は今も拡張し続け、古くて新しい社会的な課題も多い。というわけで、第3回目は「アートコレクティブ」をキーワードにした。講義の組み立てには前回と同じく「アートワード」と『美術手帖』を使った。2000年代以降の話題なので、作品や作家たちの活動の肌ざわりがより身近に感じられた…かどうかは人によるだろう。独裁政権終了後のインドネシアで生まれ、草の根的なネットワークづくりで2022年のヴェネツィア・ビエンナーレをもディレクションしたルアン・ルパも、テクノロジーを華々しく駆使する未来的企業チーム・ラボも、ある時点では同じ「アートコレクティブ」にくくられている。経済格差や貧困、社会的抑圧をよりリアルに感じる立場で生きている人、あまり感じずに過ごせている人とでは、受け止め方がかなり違うだろうと思われる作品が、現代アートには少なくない。自分の生き方ではどうしてもピンとこないけれど、隣の人はとても切実な何かを抱えながら作品に見入っている、そういうことがあるのだということ。ちょっとほろ苦いかもしれないが、現代アートとつきあうときの、それはひとつの大事な感覚だと思う。そんなことをもお伝えしたかったのだが、受講生の皆さんはどのように受け止めてくださっただろうか。

    現代アート入門学科3回目の様子

    現代アート入門学科3回目の様子

    現代アート入門学科3回目の様子

  • 執筆者プロフィール

    塚田美紀(世田谷美術館 学芸員)

    2000年より世田谷美術館勤務。小学校向けのプログラム、美術×身体表現のワークショップ、建築を活かしたパフォーマンス・シリーズなど、多様なユーザーに向けて美術館の枠を広げるような事業を多数手がけつつ、2008年以降は「冒険王 横尾忠則展」を皮切りに展覧会企画も担当。共著に『Butoh入門 肉体を翻訳する』(文学通信、2021年)、『現代に活きる博物館』(有斐閣、2012年)、『展示の政治学』(水声社、2009年)など。訳書に『エドワード・スタイケン写真集成』(岩波書店、2013年)など。企画展「アルバレス・ブラボ写真展―メキシコ、静かなる光と時」(2016年)は、第12回西洋美術振興財団学術賞などを受賞。

    (プロフィール写真撮影:平間至)

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