松山ブンカ・ラボ

JOURNAL

特集記事

2020.02.26 UP
VOL.
009
report
シンポジウム「いきる、つくる、くらす~解き放つアート」(2019年11月2日)

戸舘正史(松山ブンカ・ラボ ディレクター)

  • 多様化するアートと表現について考える

    2019年11月2日(土)に開催したシンポジウム「いきる、つくる、くらす~解き放つアート」は松山ブンカ・ラボとしては二度目の大きな公開討論の場となりました。本稿ではパネリストの方々それぞれのお話についてレポートいたします。

    今回のシンポジウムはNPO法人クオリティアンドコミュニケーションオブアーツ(カコア)との共催で実施し、松山ブンカ・ラボとしては二度目の大きな公開討論の場となりました。パネリストは、ヴィヴィアン佐藤さん(美術家、文筆家、非建築家、ドラァグクイーン)、上田假奈代さん(NPO法人こえとことばとこころの部屋、詩人)、久保田翠さん(NPO法人クリエイティブサポートレッツ代表理事)、都築響一さん(作家、編集者、写真家)という多彩な顔触れ。アート/表現を特権的な営みとして位置付けるのではなく、生活者の営みのなかにある表現活動に焦点を当て議論を展開していくにあたって、この上なく相応しい面々が馳せ参じて下さいました。パネルディスカッションの進行はカコアのメンバーである高畠麻子さんと吉岡美紀さんが務めました。


    左から進行の高畠麻子、吉岡美紀、続いてパネリストの都築響一、ヴィヴィアン佐藤、上田假奈代、久保田翠(敬称略)/2019年11月2日 愛媛大学南加記念ホール

  • アートは価値観を変えていく行為~レッツの活動

    ディスカッションの前に、四名のゲストそれぞれが自らの活動と問題意識をプレゼンテーションすることによって場内に論点をいくつか提示し共有していくことが図られました。

    トップバッターは久保田翠さんがご自身が代表を務める静岡県浜松市の障害福祉施設であるアートNPO法人クリエイティブサポートレッツ(以下レッツ)の活動を紹介されました。

    久保田さんには重度の知的障害の息子さん、久保田たけしさんがいます。たけしさんの誕生が活動のきっかけとなった久保田さんは、自分と家族が社会から孤立してしまう経験から自ら居場所を作らなければならないと考えレッツをはじめました。

    たけしさんが大好きな「入れ物に石を入れて音を鳴らし続ける」という行為を彼がいちばん大切にしているものだと理解することから「たけし文化センター」という活動が立ち上がります。「重度の知的障害のある久保田たけしという一個人の示す、やりたいことをやりきる熱意を新たな文化創造の軸と据える」という事をコンセプトにした活動は「さまざまな価値観を変えていく行為」としてのアートの場として位置付けられています。よって、たけしさんのいわば一般的には「問題行動」とされる行為は「彼しかできない唯一の表現であり、ひとつのアート活動、アート的な行為というふうに言えるのかもしれない」と久保田さんは言います。

  • みんながそれぞれ尊重されて、ちゃんと聞いてもらえる~ココルームの活動

    上田假奈代さんは大阪西成区の「NPO法人こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)の活動について地域の歴史的背景も含め丁寧にお話いただきました。

    ココルームがある地域は、戦後復興から高度経済成長期にかけて日雇い労働者を集める場所である「あいりん地区」です。ここにアートNPOを假奈代さんは作りました。「アートって言った時に、多くの方がね、劇場だとか美術館の中にあって、その担い手はアーティストであるっていうふうにお考えの方、多いと思うんですけど、私はそれだけじゃないと思っています」と假奈代さんは言います。

    では、假奈代さんの考えるアートとは何でしょう?「人と人の間、人と死んだ人の間、あるいは人と自然の間、人と人工物かもしれません、そうした間の中に表現する、されるというものがあると、あることが大事だと思っていて、それを実現しようとする」場所がココルームだと假奈代さんは考えます。「喫茶店のフリ」をしたココルームにはいろいろな人たちが集まってきます。そこに通ってくるおじさんの話を假奈代さんはしてくれました。そのおじさんが通ってきて1年半くらいたったとき、「手紙を書く会」というワークショップにおじさんは参加したそうです。そのとき、おじさんは字が書けないことを假奈代さんは知ります。

    「本当よう喋るから、なんかそのことを考えてもなくって、字が書けない、字が書けなくて、そりゃこれまでずいぶん苦労もあっただろうし、そして私たちが無邪気にワークショップに誘ったりしてましたが、そりゃ参加したくないわけですよね。でも、まぁ1年半こうやって付き合ってくれて、もし彼が字が書けないと言うことがあったと、まあ、バレたとしても、誰もね笑ったりとか馬鹿にしたりとかしない、と、もしそういうふうな人がいたとしてもスタッフや私たちのような人が、それは馬鹿にすんとこちゃうんねんとちゃんと言うということを、彼自身がすごい長い時間をかけて、信じてくれたというか、思ってくれたから、今こうやって字を書いてくれるんだなっていうふうに思ったんですね」。

    「みんながそれぞれ尊重されて、ちゃんと聞いてもらえる」「表現できる場所」が重要であるということを假奈代さんは釜ヶ崎で教えてもらったとしみじみ語ってくれました。

  • 何か名付けられないもの~ヴィヴィアン佐藤さん

    ヴィヴィアン佐藤さんはご自身ドラアグクイーンと称されています。ヴィヴィアンさんは「女装は何も産まないというところに存在意義がある」と言います。もともとは建築家であるヴィヴィアンさんは「どうしたら建てないで建築が作れるだろうか」と考え「非建築家」とも名乗っていますが、これもまたご自身の思想を体現した肩書と言えるものです。

    アートをやっているけれども「アートじゃないもの」が重要ではないかと逆説的な問いかけをするヴィヴィアンさんは「ドラアグクイーンもそうですし、何か名付けられないもの、名指せないもの、分類できないもの、そういったものの方が私は大事なものなんじゃないか」と述べられたように、レッツやココルームの活動と相通じる見解を示されます。

    ヴィヴィアンさんは青森県の七戸という町の「まちおこし」について紹介されました。雇用がなく経済が衰退したまちで何ができるのか?ヴィヴィアンさんは「歴史であったりいろんな定義と言うのは、勝った人がどんどん塗り替えていくわけですけれども、そうじゃなくて負けた人であったり消された人それから埋もれた人忘れられた人そういった人々であったり歴史もしくは人間の面もある」と言います。七戸の子どもたちとはヘッドドレスを作って着飾るワークショップを続けてきました。今目の前に見えないものや、権威化や制度化されていない事実、マイノリティの価値観や、ひとりひとりが抱えている個別の記憶や心を見つめることを、自らを着飾ることで迫っていくプログラムです。

    「今そこに見えているものだけが街の風景ではなく土地の霊のようなもの」を浮かび上がらせ召喚するかのようなヴィヴィアンさんのプロジェクトは、確かに「名付けられない」けれども、豊かな営為と言えるのものではないでしょうか。

  • 生きることと直結した表現への興味~都築響一さん

    都築響一さんは30年近く「アウトサイダーアート」や「アール・ブリュット」を追い続けています。現在のアートは美大のアートと施設のアートしか認められていないというのが都築さんの見解です。前者は現代美術、後者は障害者施設のようなところのアート。しかしそれらは少数派であるはずで、もっと地べたにはたくさんの表現があり、都築さんはアウトサイダーアートともアール・ブリュットとも呼ばれない表現に魅かれていきます。「単に変なヤツっていう、街の変わり者とか、困ったジジイとかですね、やたら全ての財産を使い果たして庭に変な五重塔を作ってしまうヤツとかですね、色々こう街の変わり者がいるじゃないですか。そういう人たちの方が遥かに多い」というのは、確かに思い当たる節があるものです。

    「どこにも属さない人」の表現が世の中にあると言う都築さんの見解は、ヴィヴィアンさんの「名付けられないもの」やレッツの久保田さんが言う「彼にしかできない唯一の行為」とも通じるものです。都築さんの表現への興味は、表現をしている人間そのものへ向けられているものであって、もはやアートの文脈のような小さな業界の話ではありません。最後に締めくくられた発言に都築思想が如実に表れています。

    「本当に制作に打ち込んでいる人の場合ですね、つながるとか関係ないわけですよ。そうじゃなくて本当に自分のやりたいことがすごく明確にあって、それに命をかけてると。それを周りが理解すればそれは認められることになったり、つながることになるけど、周りが理解しない場合は孤高と呼ばれて終わるわけですよね。孤高で高いのか低いのかわからないけれども、例えばゴッホだってほとんど1枚も売れないで終わったんだけれども、死んだ瞬間に世界最高のアーティストになっちゃった。だからそういうふうに世の中のアートっていうのはどう受け取られるかっていうのは周りの問題であって、作り手には実は全然関係ない」。

  • 社会の中で一個の存在でいられること

    4人のパネリストの方々に共通していたのは、出来上がってしまっているもの、社会の中で評価が確立されいるものに対する疑いです。わたしたちの生活の文脈のうえで、表現活動やアート活動を捉えなおすとき、そこで俎上にあがってくるものは、確立され分類されている表現分野では面白くありません。つまり、生活のなかでの、演劇とか音楽とか美術というような話であると、それぞれの表現分野の枠組みのなかで確立したモノの見方や物差しに合わせるかのような議論になってしまいます。それでは、各々の業界論の派生にしかならないかもしれません。

    今回のシンポジウムが目指したことは、わたしたち生活者ひとりひとりが社会の中で一個の存在でいることができるための表現について考えることです。レッツでのたけしさんの日常の営み、誰にとっても安心できる場所であるココルーム、名付けられないもの、見えないものを皮膚感覚として探っていくヴィヴィアン佐藤さん、生きていることの証である切実な表現に魅かれる都築さん。それぞれが、まったく異なる立ち位置での活動でありながら、不思議とシンクロしていく時間となりました。

    (写真:池田晋作)

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